ポリオ(急性灰白髄炎)とワクチンの話2 – ポリオの歴史

ポリオと思われる症状に対する記述は紀元前のエジプト、ギリシャ、中国などでも見受けられ、古くから知られていましたが、単一の疾患との認識がなされたのは18世紀になってからの事でした。

最初にポリオが単一の疾患として記載されたのが1789年。1840年にはドイツで最初の詳細な臨床的記述がされ、一般の医師の間に認識が広まって行きました。

近代になって急速な人口増加・集中とともにポリオの集団発生が認められる様になりました。1905年にはスウェーデンで1000人以上の麻痺患者が発生。1916年にはアメリカ合衆国で大流行、ニューヨーク市だけで患者数が9000人を数えたとの事です。
その後も世界的に集団発生を繰り返すポリオに対する研究がアメリカを中心に行われ、1949年にポリオウィルスの培養に成功します。

1953年、ロシア出身のアメリカ人であるセービン博士が弱毒ポリオウィルスについての学術発表を行い、経口ポリオワクチン(生ポリオワクチン)(OPV)の基礎を確立しました。また同年にアメリカのソーク博士が不活化ポリオワクチンを開発。この両者により現在のワクチンによるポリオ予防体制に繋がっていきます。

わが国でもポリオは1950年代後半より大流行の兆しをみせ始めます。そして1960年2月、北海道、夕張地区で患者が集団発生し、瞬く間に北海道全域、そして日本全土へと感染が拡大していきました。流行の中心地区夕張では死者9名を数え、住民の不安が高まりました。ポリオワクチンはヒトからヒトへと感染が広がるため、患者およびその家族は近隣住民から疎遠にされ、登校・出勤・買い物などの日常生活にも支障をきたす様になりました。感染予防のためのDDTや生石灰の散布が町中で行われ、『夕張では鶏冠の白くない鶏を見つける事は難しい』と言われました。結局、1960年のポリオ患者数は北海道全体で1609名、死者は106名。日本全国での患者数は6000人余りに達しました。

わが国での爆発的なポリオの流行を防ぐために厚生省は、1961年1月から3月まで不活化ポリオワクチンを導入し35万人の希望接種者に接種しますが、効果不十分と判断。同年6月に経口ポリオワクチン(生ワクチン)の緊急輸入による導入を決定し、即座に旧ソ連やカナダから1300万人分のワクチンを輸入し全国の乳児に原則全員投与しました。この方式は“ブランケットオペレーション”と呼ばれ、患者数減少に絶大な効果を発揮します。1964年以降は経口ワクチンの二回投与が定期予防接種に導入され、以降2012年8月までこの方式で投与されました。1980年以降我が国では自然発生のポリオは一例も認められていません。

しかし、経口ポリオワクチンには宿命的な欠点が存在します。生ワクチンであるが故に、ワクチン接種者や接触者に感染症状が出る可能性があるのです。一説によると500万接種に1回程度という極めて低い確率ですが、終生麻痺が生じうるとの事です。その点不活化ポリオワクチンは、効果は経口ワクチンに比べてやや低いものの、感染から麻痺を生じる可能性はありません。

ポリオの大流行を防ぐ事が急務であった時代には大活躍した経口ポリオワクチンでしたが、ポリオ根絶に成功した我が国に於いては、効果がやや少なくても感染リスクの無い不活化ワクチンが望まれました。

そうした声を受け、2012年9月、不活化ワクチンの注射が認可されたのです。現在はポリオワクチンの主流は不活化ワクチンに替わりつつあります。

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